第1回目シンビオシスフォーラム レポート

2021年5月8日㈯
第1回目シンビオシスフォーラム~人の「活きる」を考える~

開催レポート

目次

第一部 “重度訪問介護”とは?

■吉田政弘

重度訪問介護とは~訪問介護との違い~

重度の障害や病気をお持ちでも、在宅で生活することは可能です。
それを可能にするのが、「重度訪問介護」という制度です。

「訪問介護」はいう名前はよく聞かれるのではないでしょうか。ご自宅を訪問して30分ほどで家事をし、次のご自宅へ向かうとイメージされる方が多いと思います。訪問介護は、介護保険法で規定されている訪問介護サービスです。

一方、「重度訪問介護」は、訪問介護とは別で存在している制度で、障害者総合支援法で規定されている障害福祉サービスの一つとなっています。

調整役は、介護保険法がケアマネジャー(ケアマネ)、対して重度訪問介護は相談員という呼び名で呼ばれています。

支援の時間も、30分~1時間程度というのが介護保険の訪問介護。一方、重度訪問介護では一般的に1回あたり10時間前後。夜間の「見守り」もサービスの一つとして定義されています。

双方、自治体の管轄になっていますが、介護保険では介護保険課、重度訪問介護では障害福祉課の管轄が多いです。

なお、重度訪問介護の利用方法としては、自治体に申請後、調査(主治医の意見書やご家族の有無も含む)を踏まえて自治体が支給時間数を決定。その上でサービスを利用するという流れになっています。

■ホームケア土屋について

我々ホームケア土屋では、重度訪問介護という事業をメインとして、北海道から沖縄まで事業所を展開しています。

土屋総研とリスクマネジメント委員会の共同調査では、2021年5月現在でクライアント(利用者)数は590名。そのうち医療的ケア(喀痰吸引・経管栄養)を必要とする方は219名です。

日本全国で展開していますがニーズが多く、毎月新規のクライアントが増えており、まだまだ支援が足りていないのが現状です。

■重度訪問介護の歴史

重度訪問介護は、障害当事者による運動から始まった制度で、ここが一つ目のポイントとなります。1972年に東京都で原型となる制度ができ、1981年の国際障害者年という世界の潮流を踏まえて、2006年に障害者自立支援法が成立しました。ここで重度訪問介護制度が正式に始まったという認識です。

そして2013年、現在の根拠法である障害者総合支援法を経て、2014年には重度訪問介護の対象者が「身体」に加え、「知的」「精神」「難病」の方にも拡大されました。

また同年には国連の障害者権利条約に日本も批准。地域・在宅での生活に向けたノーマライゼーションの世界的な潮流の中で、日本国内の流れがあると言えます。

二つ目のポイントは、重度訪問介護がまだ発展途上にある、進化中の制度ということです。

今回の土屋総研フォーラムでは「人の『活きる』を考える」をテーマにしていますが、まさに、考えるべきことがまだまだ多くありますし、そもそも地方都市では制度そのものを知らない方も多く、考えすら始まっていないという現状もあります。

今回のフォーラムが、皆さまにとって何かの「気づき」になればと思っております。

<原>

重度訪問介護の利用者は、日本全国で約1万1千人と言われています。重度訪問介護事業所は7,400か所くらいあるとされますが、訪問介護と比べると10分の1にも満たない数です。一方でニーズは多く、私たちも今後この制度をますます広めていきたいです。

■元厚生労働省事務次官・村木厚子氏

~障害者自立支援法の成り立ち~

<原>

重度訪問介護は2006年に施行された障害者自立支援法において、障害のある方が利用者本位のサービスを受けられるよう設けられました。この法律の概要は、現在の障害者総合支援法においても踏襲されており、障害福祉サービスのグランドデザインが障害者自立支援法において作られたとも言えます。

その自立支援法の策定に、厚労省の社会援護局障害保健福祉部企画課長として深く関わられたのが村木厚子氏です。

<村木>

障害者自立支援法ができた頃の背景について―ずいぶん前のことにはなりますが、思い出しながら―その頃何があったかということを皆さんと共有したいと思います。

障害者自立支援法を作る議論が始まる少し前に、障害者支援費制度がスタートしました。この制度そのものは、福祉の流れの中では大事な制度で、「措置から利用契約へ」と言われます。

利用者が福祉サービスを使う時に、行政が決めた事業者からサービスを受ける(措置)のではなく、自分で選んだ事業者と契約をして、自分に合ったサービスを使う(利用契約)ということです。これを障害者福祉の分野でもしようということで、支援費制度がスタートしました。

これは非常に価値がありましたが、いかんせん、その時の改革がとても不十分で、「こういう新しい制度になっても利用量は増えないから、予算は同じでいいです」と財務省を説得して制度を作ったというように聞いています。

そうすると何が起きたかというと、使いやすくなったので利用者がどんどん増えて、全く予算が足りなくなった。予算が足りないまま放っておくとどうなるかというと、利用できない人が出るか、あるいは自治体が頑張ってくれる所は自治体が全部持ち出しをして障害者福祉のサービスを提供するということになりました。

そんな状況だったので、特に重い障害を持つ人たちは、「これから本当にどうなるんだろう」「自分たちの命をつなぐサービスを受けられなくなるんじゃないか」ということで、厚生労働省を車椅子で取り囲むということが起こりました。

私はもともと労働省に入省したので、福祉の分野のことは何も知らなかったんですが、自分の仕事場の窓から下を眺めると、役所の周りを車椅子の人がいっぱい取り囲んでいる。「いったいこれは何が起きてるんだろう」とすごくびっくりしたのを覚えています。

この時少しだけ役所のことを褒めていただいてもいいんじゃないかと思うのですが、誰が言い出したか「勉強しようじゃないか」と。「大変なことになっている。何が起こっているんだ、どうしたらいいんだというのを勉強しよう」と言って、自主的に勉強会が始まりました。これは障害担当の人たちではなく、です。

お昼休みにみな500円を握りしめてお弁当を買い、障害福祉の現場の人に来てもらいました。役所の官房長や局長などのすごく偉い人から、入ったばっかりの職員まで誰でも参加でき、私も参加しました。

そこで現場の話を聴き、土曜日には実際に現場見学に行き、東京で先駆的に始まっていた重度訪問介護事業所にも連れて行ってもらいました。そのサービスを受けて暮らしている人にも会い、その時初めて、障害を持つ方の暮らし方を知りました。

そういう風にずっと勉強会をしていたら、ある日突然、人事異動があり、「法改正やるから担当課長をしてくれ」と。面白い役所だと思いますが、私は福祉をしたことがないので本当にびっくりして、どうしようと。だけど、気になって勉強会に通っていたんだから、とにかくやるしかないと思い、そこから障害福祉の仕事を始めました。

当初は予算が足りず、役所の中を駆け回って「お金を分けて下さい」と色んな部署に言いに行きました。恥ずかしいことですけど、高齢者や子どもの担当部署に行って、「何とかお金を節約して、うちへ下さい」って。今考えると酷かったと思うんですが、新しい制度が始まるのを待ってもらい、そのお金を全部障害の方にもらいながら新しい制度を作ろうとしました。

ただそこでとても驚いたのが、支援費制度が財政破綻したので、関係者との信頼関係がゼロになっていて、非常につらい状態だったことです。もう一つは、データが何もないこと。どんな障害の人がどれほどいて、どんなサービスを一人当たり受けていて、どうなっているかが全く分からない。

だからとにかく、一体どうなっているのか、何が必要で何が足りないのか、それが分かるようにデータを集めることから始めました。同時に当時の私たちが考えたのは、当事者の意見をできるだけ聞いて、案を作ろうということ。

役人はついつい、データ集めて、「これが正しいので、これに従って下さい」と言いがちなんですが、やはりここまで信頼関係が失われているので、それはしないと決心しました。

そうして、1年近く当事者の皆さんの意見を聞きながら、障害の種別や地域によって差がないような、みなが安心して、「こういう障害だったら、これだけのサービスが受けられるよね」と言える制度にするために、グランドデザインを作っていきました。

どんなに重い障害があっても地域で暮らせるということを最終目標にして、制度をデザインしたんですね。もっとも、その時にできた制度はまだとても不十分なものではありましたが、一つだけ私たちが「絶対にこの目標だけは取らなきゃいけない」と思ったのが、介護保険と同じように、サービスを受ける資格のある人が必ずサービスを受けられて、そのサービスには必ず国の予算が付くということ。これだけは頑張って獲得しようと。

実は当時、省内では「障害者福祉をそういう仕組みに変えるのは、水が低い方から高い方に流れるようなもんだ。絶対無理だから諦めろ」と何度も言われたんです。けれど、私の部下たちがものすごく頑張って財務省を説得して、またその時には障害者団体の人たちも一緒に動いてくれて、みなで力を合わせて、一生懸命集めたデータを使って財務省を説得しました。

最後に笑い話ですが、財務省からOKが出て、省内会議で報告すると、上司が「嘘だ」と言って会議を止めて、「そんなことありえないから、もう一回財務省に行って確認してこい」と(笑)そこで再度確認に行かせて、OKが出たということで、やっと今の「義務的経費」という、必要なサービスを使ったときにはきちんと財政負担をするという仕組みができたんです。

そこが自立支援法の大きな第一歩だったと思います。まだまだ十分ではないですが、支援費制度で利用契約にする、自立支援法で義務的経費にする、そのように制度も一歩一歩ですが前へ進んできています。この制度が本当に皆さんの役に立つように育っていけばと思っています。

■浅野史郎氏

~脱施設・重度訪問介護への期待~

<原>

重度訪問介護は、障害をお持ちの方が、基本的人権を有する一人の人間としての尊厳にふさわしい日常生活を、施設ではなく地域で送るために必要不可欠なサービスです。

1970年前後、障害者は施設の中で守られるべき存在であり、それこそが障害者の幸せにつながるという弱者保護の精神で、各地に障害者の収容施設が作られていきました。

これに疑問を感じ、障害者の幸せ・人権、そして住まいの在り方を見直し、宮城県知事時代に施設解体宣言を提示してグループホームの設置を進めたのが浅野史郎氏です。

<浅野>

まず、この重度訪問介護事業というのは「世界に冠たる事業」だと思っています。デンマークにはオークス方式がありますが、この重度訪問介護事業も素晴らしい制度だと。ただ、そう思ったのはごく最近です。実は、この事業についてあまり知らなかったんです。

私は脱施設派ですが、脱施設とは、施設で住むよりも地域で住む方がよいという「場所」の問題ではありません。問題なのは、施設や病院での生活の中で、明日何をするか、これからどこ行くか、今日は誰と会うか、それが自分で決められないことです。いわゆる管理性ですね。

そもそもこの事業の原動力になった障害者団体である「青い芝の会」が行ったのも、東京都の府中療育センターから出ていくということ。これも脱施設・脱病院でしたが、管理性に対する反対でした。私も同様で、宮城県知事時代には「宮城知的障害者施設解体宣言」を出しました。

ただ、そうは言っても、施設から出るということが、その人たちの生活を保障するわけではない。やはり、なかなか地域の中では生活できません。どうしても支援がいるんですね。だから出しっぱなしというわけにはいかなくて、知的障害者のグループホームを作りました。

知的障害の人が4人ほどで生活する、地域の中にあるグループホームです。そこでの介助はほとんどなく、食事を作るなど、その程度です。そうしたグループホームは、施設から出た際の受け皿になるという意味では非常に大きいですが、問題は身体障害の方です。

身体障害、特に重度障害の方は支援がなければ生きていけないという大変な状況ですから、簡単に施設や病院から出るというわけにはいきません。それを解決するのが、この様々に曲折を経ながらできた重度訪問介護制度なんです。

それまで施設や病院でなければ生きられなかった人に対して、地域で、自分の家で生活できるということを、この事業が実現させたわけです。これはものすごく大きいことです。

さらに重度訪問介護事業は、脱施設というだけでなく、「脱家族」でもあります。家族の支援なしで、居宅での生活を実現させる。これが本当の自立生活です。

もっとも、以前にも同じような需要はありました。障害当事者の方々は「こんな施設で死んでしまうのは嫌だ」と退所し、自分たちでボランティアを集めて、その手を借りて自立生活をしていきました。

ただ、地域での生活が保障されたものの、いかんせんボランティアです。しかもそのボランティアも当事者本人が集めなきゃいけないという、大変リスクの高いものでした。これを公的にすることにした重度訪問介護事業というのはとても素晴らしいです。

とりわけ重要なのは、24時間365日の支援があること。状態によっては1日10時間で大丈夫な人もいますが、24時間介護を受けなければ生活できない人もいます。

そういう人にとって24時間365日の介護が保証されること―もっとも地域によっては時間を削られたりしていますが―制度的には一応保証される。これもまたすごいと思いますし、まさに「世界に冠たる事業」ですね。

■長岡貴宣氏

~~ALS患者から見た重度訪問介護の課題~~

<原>

重度訪問介護は、2013年に施行された障害者総合支援法において、その対象を難病患者にも広げました。現在、指定難病は361とされていますが、その中で難病中の難病とも言われる筋萎縮性側索硬化症(ALS)の方の多くが、重度訪問介護サービスを使いながら在宅で生活をしています。

ALSとは筋肉がだんだん痩せて、力がなくなっていく神経難病です。手足、顔、喉、呼吸する筋肉も弱くなるため、人工呼吸器を装着している患者も多く、喀痰吸引を含めて24時間の介護体制が必要です。

このALSと闘っているのが、元 広島県立御調高校の教頭でもあった長岡貴宣氏です。

*分身ロボット「オリヒメ」を介しての講演

<長岡貴宣>

私の住んでいる広島県三次市は人口5万人の少子高齢化が進む地方都市です。我が家の周りには先週のゴールデンウイークに田植えを終えたばかりの田んぼが一面にある、そんな田舎の町です。

その三次市で、私は2019年9月に重度訪問介護を申請しました。家族は働いているため、希望した申請時間は1日24時間、1か月744時間に近いものでした。しかしそれまでの三次市の重度訪問介護の実績値は利用者1名、1か月の利用時間は32時間という事で、私の想いとは大きくかけ離れているものでした。

行政による地域格差や前例踏襲という課題は患者会でも聞いていたので、今後の市との交渉は大変になるのかなと思っていました。ところが市の対応はとても熱心で、特に若手の職員はよく私の話を聴いてくれました。結果的に、市の担当者、ケアマネージャー、相談支援専門員、病院関係者が熱心に連携してくれ、前例にない1か月490時間の支給が決定しました。

行政との交渉のトラブルはよく聞きますが、当事者としての準備や、一緒に考えていきましょうという仲間意識、対話意識が大切なのかなと思っています。

こうして490時間の支給は決定しましたが、すんなり在宅生活に入っていけたわけではありません。支給時間は490時間に決定したものの、市内の重度訪問介護事業所からの受け入れは2か所、時間はなんと1か月25時間、痰吸引ができるヘルパーはいないということでした。

高齢化が進む市内の重度訪問介護事業所では、介護保険の不足分を補うのが現状で、医療的なケアを望むことは不可能でした。地域に重度訪問介護事業所はあるものの、利用者側の需要を満たしていないという問題を抱える自治体は少なくないと思います。

私の場合は、ダメもとでお願いした土屋さんに救われたわけですが、ヘルパーさんの多くは営業所のある広島市内から車で2時間弱の時間をかけて通勤してくれています。ヘルパーさんたちにとっては、大きな負担となっていると思います。

また、地域の事業所不足、ヘルパー不足が解消されたわけでもありません。解決するには、自分で重度訪問介護事業所を開設したり、自薦ヘルパーを登録したりすることが考えられますが、誰でもできることではありません。

今日のテーマ、共に「活きる」ではないですが、私は地元地域の事業所で地元地域のヘルパー雇用が実現していけばと考えています。そういう意味では今日は、村木先生や浅野先生、そして土屋さんが今後の福祉の在り方をどのように考えていくのか、お聞きできるのを楽しみにしています。

<原>

私たちも全国でサービス提供をしていると、地域格差を非常に感じます。利用者の症状や家庭環境が似ていても、各県で自治体から支給される時間数が全然違うということはよくあります。ただそうは言っても、三次市の前例を踏襲しないという対応は事業者にとっても嬉しく思います。 一方で、人口の少ない地域で喀痰吸引のできない事業所はよく見受けられます。喀痰吸引を介護事業所で行うにはヘルパーに資格を取ってもらう必要があり、訪問看護の事業所さんの協力も必要です。かつ事業所としても、事務的な作業が増えたり、ヘルパーが医療行為をすることにリスクも発生するため、及び腰の事業所もあるというのを現場からは感じています。

■株式会社代表取締役・高浜敏之

~株式会社土屋の考えるこれからの障害福祉~

<高浜>

浅野先生、村木先生、長岡先生の貴重な話、大変勉強になりました。長岡先生の話についてですが、広島市内から2時間かけて通ってくれているというのは本当にその通りで、これを担ってくれているヘルパーさんたちには感謝しかありません。

ただ、いくら感謝しても、それをしっかりと形として現さなければならず、あらためて労働保障、賃金ならびに社会的地位を高めていくことに努めていかなければと再認識しました。

そうは言っても片道2時間、往復では4時間となり、現場のサービスが8~ 10時間として、トータル14時間の拘束です。どこにプライベートがあるのかという状況で、やはり長時間の通勤は問題があると思っています。

一方、地方、人口の少ない都市、また本社のある岡山県井原市でも従業員はまだ一人もおらず、採用が難しいという現状があります。また、人口の少ない都市ほどサービス提供事業者が少ないという中で、サービスを受けられず介護難民化している方もおられます。

当社では介護難民問題の解決を一義に置いているので、入社面接の際に、片道最低1時間、時には2時間かかることもあるが可能かどうかの確認をし、難しい方は採用を見送らせていただくこともあります。

このような問題を解決していくためには会社の認知度を高めたり、この事業の認知度を深め、かつ介護という仕事に携わりたいと多くの人に思ってもらえるようにしていかなければならない。

そうすれば、おのずと本社のある井原市でも、長岡先生の住まれている三次市でも、一人また一人とこのお仕事を担ってくださる方が増えていき、長岡先生の仰っていた問題も少しずつ解決していけると思うので、中長期的なスパンで取り組んでいきたいです。

部 パネルディスカッション~重度障害者の「活きる」を考える~

吉田

土屋総研は始まったばかりでありますが、今回のフォーラムで見えてきたところもあり、今後の抱負も踏まえてお話させていただきます。
 
村木先生、浅野先生のお話しから、当事者の方々と行政が「協同して動く」ことがキーワードだと感じました。長岡先生のお話からも、前例がない中、行政の方のご協力があったとのことで、今後を考えていく上でそこが大事だと思われます。
 
一方で、村木先生からは、データがなく勉強会から始めたことを伺いましたが、私たちも現場で管理者等をしている中で様々なケースに当たり、日々疑問を感じています。クライアントも同様かと思います。
 
事業所の数も1万(7,400?)ほどというお話もありましたが、その中には、仕方がないから当事者の方が代表をしている事業所も含まれていると思いますし、体感としては他の事業所があまりない。逆に言うと、アテンダントが不足していると感じもします。
 
一方で、1万(7,400?)という数字を見てしまうと、協同していても行政の方が間違えた判断をしてしまうといった懸念も感じます。
そこを踏まえて、土屋総研としては「実際はどうなのか」という視点に立ち、障害福祉分野、また広く福祉分野の研究をしたいと考えています。客観的な視点は、福祉においては冷たいイメージと捉えられるかもしれませんが、そのような視点も制度を良くしていくものです。
 
歴史が動いている段階では、すべてそのような「協同」があったことも踏まえて、今後はデータや研究も必要だと思われます。またそれを皆さまに還元できるようにしていきたいです。

高浜

村木先生が裁量的経費から義務的経費にし、それ以前には浅野先生が宮城県知事時代に脱施設化宣言をしたと。方向性としては、この分野の大先輩の方から指し示されたと思いますが、この制度が未完のプロジェクトであるという実感が非常に強いです。
 
一つは、利用ニーズはそこにあっても、提供する事業所がないということです。
登録している事業所が1万(7,400?)ほどあるとはいえ、本当に稼働している事業所がどれだけあるかには、かなりギャップがあります。
 
私も全国各地で重度訪問介護事業所を立ち上げてきた中で、複数の自治体から「重度訪問介護はニーズはあるが、提供する事業所が存在しないので、支給決定してもサービスを受けられない。そのため重度訪問介護制度ではなく、別の制度で代替して支給決定をしている」というお話を聞いてきました。
 
やはり事業所数1万(7,400?)という数字と、実感ではギャップがあります。おそらく指定は取っていても、重度訪問は事実上動いてないという事業所も含めての1万(7,400?)件だと思われます。首都圏や関西の一部自治体を除くと、私どもの事業所以外では重度訪問介護の提供事業所がほぼ皆無であるくらいの感覚があります。
 
一方、私たちもまだ37都道府県でしかサービスを提供できておらず(2021年5月時点)、弊社がサービスを開始していない都道府県では、サービスを受けたくても受けることができず、施設での管理的な生活に甘んじている方が多くいることが推測されます。
 
ですから、私たちがまずすべきことは、支援を届けられていない地域にしっかりと事業所を構えて、サービスを提供できる環境を作っていくことです。
 
次の展開として、大きな事業所でしかできないこと、そして地域に密着した小さな事業所でしかできないことがあるため、地域密着型小規模事業所の起業への取組みなどを応援していくことです。
 
その上で、弊社のような大きな事業所と、地域密着型の小さな事業所が協力して、最重度の障害を持った方々の在宅生活を支える。そんな社会環境を作っていくためのプロジェクトを作っていきたいです。

村木

登録事業所と、実際に稼働している事業所の不一致があるかもしれないということですが、これについては他の分野でもあって、分かりやすい例では保育所があります。都市部で保育所には入るのが難しいため、入るのを諦めてしまうと、保育所のニーズとしては表に出てきません。
 
これと同じような状況なので、どの単位ですればいいかは分かりませんが、このような暮らし方をしたいという潜在ニーズが出てくる方向を見ていくことが大事だと思います。
利用している人のデータだけ取ったのではそこが見えてこない。そういった部分の工夫ができればいいと思います。

浅野

先ほど言い足りなかったことですが、重度訪問介護事業の素晴らしい点は、居宅での生活により障害当事者に自由度を与えただけではなく、重い障害の人も自立生活ができるという障害者の可能性を広げる事業を通して、世の中の障害者観、もっと言えば人の中にある差別、内なる優生思想を変えられることです。
 
クライアントが地域の中で生きることによって、世間の人が彼らの生活を垣間見ることができます。街に出ることもあるでしょう。そうすると、この事業が重度の障害者に対してどのような生活を与えるか、また障害を持っていても、このように生きていけるんだということを知ることにつながります。
 
世の中の人が彼らを認識することで、障害者というのは何もできなくて、かわいそうな存在だという考えから離れ、「障害を持っている人たちもちゃんと生きているんだ」「人間として100%尊厳を保ちながら生きているんだ」ということを知る。そのためにも、重度訪問介護事業はあります。
 
もう一つは、重度訪問介護事業そのものが、世の中の人が変わることによって、さらに変わっていくということです。ここには行政、具体的には当事業の管轄である障害福祉課の方も入ります。
 
現在、障害福祉課で仕事をしている人たちも、恐らく人事異動によって、今までしたことのない仕事をしていますが、重要なのは、どういう想いでその仕事をするかということです。
彼らは、この事業を通じて重度の障害者に人間らしい生活を提供する事業を管轄しています。これは誇りになる。誇りにして下さいと思います。つまり、意識を変えるのは、むしろ市町村の障害福祉課のメンバーなんです。
 
もちろん、しっかり理解してくれている行政もあります。多分それは、重度訪問介護事業が何を目的にして、何を実現するのかということを知り、これは大事だと、誇るべき事業だと、そういう認識があるからだと思います。そうでなければ、単に親切なだけの行政だと理解にまでは至りません。
 
つまり、今すべきことは行政とのコラボレーションです。
私は行政にいた人間ですが、常に障害者と一緒になって仕事をしてきたつもりです。障害福祉課長として、「障害福祉課の仕事とは障害者の幸せのために」と思っていたので、障害者が何を求めているかを知り、それを一緒に実現していこうと。これが障害福祉課の仕事だと思っていました。
 
私も自治体も、担当は厚生労働省の障害福祉課なので、そこに色々と要望したいこともありますが、とにかく障害福祉課長には、重度訪問介護は世界に冠たる事業だと言いたい。そして立場は違えど、行政と事業者がコラボレーションしてやっていきましょうと。そうすることで、重度訪問介護制度がさらに改善される方向に進むと思っています。
 
自治体の場合、例えば24時間支給ができないとすれば、それは恐らく「カネ」の問題です。そういう予算がない。だとすれば、障害福祉課は財政担当と闘わなくちゃいけないんです。けれど、それは自治体としての誇りです。自治体として重度訪問介護事業をこれほど多くしていると。財政課はとにかく「お金を出せない」しか言わないので、そこを巻き込んでいってほしいです。
 
また、私は現在、株式会社土屋の研修を担当していますが、そこで強調するのは、事業がすごいというよりも、この仕事がすごいということ。ぜひ誇りをもって仕事をしてほしいです。そして私は、土屋のアテンダント(ヘルパー)はそういう想いをもって仕事をしていると思いますし、これから入って来る人たちにも、誇るべき仕事だということを伝えたいです。
 
あるALS患者の方が、「自分はこうやって生きていることによって社会を変えると思っている」と言っていましたが、重度訪問介護事業は、重度の障害者の地域生活を支えることによって社会を変えることにつながり、内なる差別、内なる優生思想を変えることにもつながっていくんです。

村木

浅野先生の仰る通りだと思います。自立支援法の時は、財務省に理解者になってもらうプロセスでしたが、説得に苦労した立場から言うと、財務省や財政当局が了承するためには、世の中の人がそのことを知っていてくれているとすごく了承しやすい。
 
実は私、今日、長岡先生と初めてお目にかかりましたが、長岡先生の話は知っていたんです。広島のある教頭先生の話として大好きな話だったんです。私だけでなく、その話を聴いた人は皆、長岡先生のストーリーは、なんていいストーリーだろうと。そして長岡先生を支えるサービスやオリヒメはなんて素晴らしいって。
 
そこに共感があると、「自分たちも何かできることがあるんじゃないか」と思えます。そういう共感を、まさに浅野先生の言葉で言えば「社会を変える」と。この部分がすごく大事だと思いました。
 
また、大きな企業と地方の小さな事業所の話は、とても大事なことで、私は大きな企業にだけできることがいくつかあると思っています。
一つは研修です。大きな企業でなければ、なかなか研修体系は作れません。他には技術・ノウハウの蓄積が、たくさんの事例を持っているからこそできる。データベースも出るので、そういうことを大きな企業がしながら、それを提供して、地域の非常にローカルなところと協同すると、ものすごくいい仕組みができると思っています。
 
データについては、大きな事業所だったら全国の比較もできるし、こっちは受けられているが、こっちは受けられていないというのを、全体を見ていない人に教えることもできます。
これだけの人口があったら、絶対これだけの人数あるはずです、という話も、大きな事業所ならできるので、そういう意味のコラボもできるんです。すごくいいやり方です、大きな可能性があります。

高浜

村木先生の仰る通りですね。
重度訪問介護は報酬単価が低く、介護保険の身体介護と比べると半分くらいです。報酬が安いと経営も難しいので、これが参入障壁の一つになっていると思いますが、研修の部分だけ別に報酬が出るわけではないので、社員に研修に出てもらうには労働賃金を払わなければいけない。そうすると、小さな事業所だと研修体制を整えるまでの財政基盤を作るのはなかなか難しいです。
 
私たちの場合は比較的大きいので、スケールメリットが働いて、そういう整備もしやすいですが、基本報酬が少ないので移動時間の賃金は払えていません。これを全て払ってしまったら会社が翌月にも倒産してしまいます。
こうした報酬体系なので、ここに関しては今後、別の形の保障を考えようと、現在組み立てていますが、小さい事業所では難しい。
 
ただ小さい事業所では、組織の中心メンバーとクライアントが「顔の見える関係」であり続けて、より濃密な関係性を作っていけます。また従業員の入れ替わりも少ないので、長く呼吸のあったケア関係を作っていける。そういう面では小さい事業所にしかできないことはあると思っています。
 
浅野先生が仰った「社会を変える」というのもその通りで、私も20年前にこの業界に入った時は、障害を持った人たちとの接点や関りがありませんでした。ですが、この出会いを通じて、私自身の意識が変わっていき、それ以前とそれ以後では、ものの見方や考え方が本当に変わりました。もちろん、良い方にです。
 
私は今、井原市で3歳と1歳の娘と妻との家庭生活を営んでいますが、この仕事をしていなければ、子どもたちへの接し方も違ったと思います。つまり、この小さな家族という社会の在り方も変わっただろうと。
 
そして、株式会社土屋という事業を運営することで、少しずつ社会を変えていけると思っています。障害を持った人たちと接したからこそ、そこで学んだことへの恩義を感じ、恩返しをしていきたいという想いの中で仕事もさせていただいています。
 
百聞は一見に如かず、まずはこの仕事を通じて障害を持った人と出会い、そういった方が一人また一人と増えていくことで、社会のフレーム自体が変わっていくんじゃないかと、半ば確信に近いような期待を持っています。

吉田

私は土屋ケアカレッジという資格研修の研修事業部門も担当していますが、単価が低い中での研修は確かに資金がかかるので、大きな事業者でないと負担できないと思います。
 
一方で、実態として圧倒的なヘルパー不足、もう片方では圧倒的なニーズがあります。そういう状況の中で、この業界の会社が陥りやすいことが、なんとか研修を省いて、なんとか人をかき集めて、なんとか利用者さんのところに行っていただくということです。そうすると、ヘルパーの質が低いという状況が起こりやすくなってきます。
 
ただ、当社の重度訪問介護も日本全国に広がってきており、支援が徐々に行き届いている状況ができてきました。今回のフォーラムにも500人近くの方が集まってくださり、関心も増えています。そうした中で、重度訪問介護制度も、ヘルパーがとりあえずいてくれる、とりあえず生きていますという保証をするだけの制度ではなく、生き生きと生きていくことを考えていくフェーズに入ったと、研修事業部門の責任者として感じています。
 
現在、株式会社土屋では研修に多くの資金を投入しており、誇りを持って仕事をして頂けるよう努めています。
フェーズが変わり、資金もかかりますが、ますます研修に力を入れていく所存ですし、そのためにも会社の体力を付けることが必要だと思っています。時代のニーズの移り変わりに応えていきたいです。

長岡

みなさんが仰るように、私たち障害者や難病患者を巡る法律や制度は近年、大きく整備されてきています。しかし現状はまだまだ多くの課題が残されています。たとえば重度訪問介護利用者に関わる就労問題*です。
 
私自身、休職してからもずっと職場に復帰すること、働くことを考えてきました。しかし実現するためには多くの人の協力を得ながら、当事者として解決していかなければならないこともあります。私は、「意志ある所に人は集う」と思っています。意志とは意味のある志。意味のあることには人が集まり、受け継いでいくということです。これからもこの考えを忘れず、現状をしっかりと見据えて、当事者として活動していきたいと思います。
 
*就労中に重度訪問介護サービスを使えないという問題。サービスを受けながら収入を得ることが背反しているという考えによるものだが、自治体の自立支援事業により、制度は少しずつ変わってきている。とはいえ、希望する全員が就労中にサービスを使えるにはほど遠い状況。
 

動画

開催の様子を動画でも配信しております。
是非、チャンネル登録の上、ご覧ください。

前半

後半

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