健康福祉マネジメント論

健康福祉マネジメント論

11月11日に開かれた管理職対象の社内セミナーでは「健康福祉マネジメント論」をテーマに、株式会社土屋の顧問を務める早稲田大学人間科学学術院の松原由美教授にご講演いただきました。「福祉事業においては、存在意義の発揮を支援する理念の共有が重要」だとして、①資金のマネジメント②組織のマネジメント③環境のマネジメント―の3要素に関するレクチャーがありました。


私は、福祉とは「人の存在意義の発揮の支援」だと考えています。また経営は従来、株主の利益最大化が目的とされてきましたが、近年はSDG‘sの盛り上がりもあり、企業の存在意義として「社会をよりよくしてウェルビーイングを実現する」点が重視されるようになってきました。しかしこれは最近の流行というだけではなく、実は近江商人の三方良し、マックスウェバーの『プロテスタントと資本主義』の時代から、短期利益の追求ではなく、ゴーイングコンサーンとして長期に地域で発展し続けるよう、目指されてきた経営のあり方でもあります。まさに福祉事業の本質といえます。

福祉経営の特質は、上記の3点(いのちや生活、人権に密接に関わる事業、事業費の多くが、広い意味での公的資金で賄われている、消費者の支払い能力に応じてではなく、必要に応じて提供されるサービスと位置づけられている)です。これらを踏まえ、①資金②組織③環境のマネジメントについてお話していきます。

①資金のマネジメント

理念を実現するにはお金が不可欠であり、最初にどのような資金調達をしたかによって、事業展開が制約されます。「財務や会計は事務方の仕事」と思わずに、全員がしっかりと資金のマネジメントを理解しなければなりません。

財務の視点からみると、①資金調達②資本投下③回収、このサイクルを繰り返すことで事業は大きくなっていきます。どのように資金を調達し、投下したかは「貸借対照表」、どのように回収されたのかは「損益計算書」で示されます。なお損益計算書で注意してほしいのは、「現金ベースの数値ではない」という点です。お金を支出したとき、収益に対応する支出のみが費用として計上されます。その代表例が「減価償却費」です。

たとえば事業に必要な建物を10億円で建てたとします。これを一度に費用として計上すれば当該年度は大赤字になるでしょうが、翌年からは、この建物のお蔭で収益が上がっても、費用計上されないので利益が過大になります。これでは利益を正確に把握できません。時の経過とともに価値が減っていく建物等の固定資産に対しては、取得した時に取得費用、この場合は10億円分の費用を全額計上するのではなく、一定期間にわたって分割して費用化することを減価償却といいます。この減価償却費は、会計を理解する際につまづきやすいところですが、事業継続に欠かせない設備投資においても重要な概念となりますので、しっかり理解していきましょう。

設備投資する場合、多くのケースでは借入を伴います。借入金返済にあたっては、この減価償却費を充てます。そして多くの場合、減価償却費だけでは返済金額を賄えないことから、その分は他にファイナンスの手段がなければ利益で賄うしか道がありません。たとえ黒字であっても、借入金返済を減価償却費と利益で賄えなければ債務不履行で黒字倒産になります。事業継続にあたり、最低限、借入金返済に必要な利益は経営のメルクマールの一つとしておさえておくことが大切です。

2011年7月7日の日経新聞で社会福祉法人の内部留保について報じられて以来、内部留保が過大だと批判されました。この議論には、実在するか否かは不明の貸方の内部留保を捉えて、何の基準もなしに感覚的に過大だ、活用しろと批判されるなど、大きな誤解があったのですが、業界は即座にしっかり反論できませんでした。

医療・介護・福祉事業では、地域住民や国民に理解をいただくことが重要です。社会連帯、すなわち事業を利用していない人のお金を強制的に徴収して成り立っている事業だからです。福祉事業こそ、会計や財務への理解が肝要だと思います。

②組織のマネジメント

以下、組織マネジメントにかかわる理論をいくつか紹介していきます。

集団圧力

個人が周りの人の意見に左右されて自分の意見を変え、周囲に同調する現象です。これでは間違いが横行しても正しづらい文化が形成されますし、新しいことに前向きにチャレンジする意欲もうせます。皆が「A」と言う中でも目的達成のために「B」だと思えば「B」と言える文化をつくることがとても重要です。

リーダーがAだと思っていることにフォロワーがBと発言しても、リーダーが怒らない度量を持ち、目的達成のためによく率直に意見を言ってくれたと讃える文化を醸成していくことが求められます。

集団浅慮

集団だと、かえって深く考えずに物事が決定されてしまう事象です。リーダーや集団そのものが優秀、リーダーを中心にまとまりが良い組織で起こりやすいと心理学者のジャニスが指摘しています。ただこれらの特徴があると、必ず集団浅慮が起こるわけではありません。「集団浅慮に陥る可能性がある」と自覚を持つことが大切です。

対策としては「悪魔の使徒」、すなわち最初から最後まで反対意見を言う人を決めるのが良いとされています。活発な議論を促すために、リーダーが意見を言うのは最後にするなどの方法もあります。

社会的手抜き

人は、自分が所属する集団が大きくなればなるほど自身の位置づけが分からなくなり、モチベーションが下がり、手抜きをしやすくなります。神輿と同じです。実際に担いでいる人は一部で、多くの人がぶら下がっています。

防止策としては、①個人の貢献がわかるようにする②課題に対する自我関与を高める③信頼感を築くコミュニケーションを図る④集団全体のパフォーマンスに関する情報提供をする―などが挙げられます。

チーミング(エドモンソン)

協働する活動を「チーミング」といいます。①率直に意見を言う②協働する③試みる④省察する―の4要素がポイントです。

心理的安全性

効率的なチーミングと組織学習(組織が自ら学んでいくこと)の土台となるのが、心理的安全性です。考えや思いを気兼ねなく発言できる雰囲気や組織文化を指します。

失敗したり、周りに助けを求めたりしても大丈夫だと信じられる状態です。先の集団圧力のところで述べた、率直に意見をいえる文化をつくることをリーダー、フォロワーで意識していくことが求められます。これはリスクマネジメントのうえでも、イノベーションをおこすうえでも、土台となる組織文化です。

心理的安全性を醸成するために私が重視しているのは、「ひとりひとりが人間であることを許す」ことです。人間は完璧ではないのに、失敗すると挫折して途中でやめてしまうことが多々あります。

そこで大切なのが、完璧主義ではなく「最善主義」であることだと思います。継続しながら、最善をめざす。チームメンバーにも、自分自身にもこのような姿勢でいることが大事ではないかと考えています。チャレンジする、気兼ねなく助けを求めあい、助け合う文化の基になる考え方だと思います。

②環境のマネジメント

日本は「親しい友人がいない高齢者」の割合が高く、世界でも社会的孤立が最も多い国だと言われています。自殺死亡率は先進国の中でトップクラスです。さらに、まれにみる税制悪化状況に置かれていますね。一方、人は「自分には社会保障や福祉は関係ない」と思いがちです。あえて知ろうとしないことを「合理的無知」と言います。

こうした中で、「人」を重視したまちづくりが求められています。福祉施設は近隣住民にとって邪魔者扱いされがちですが、そうではなく、地域財産として応援してもらえる、皆が支え支えられる関係づくりが必要です。そんなことは難しいと思うかもしれませんが、価値観は変わっていくものです。そして社会や制度は、私たち一人一人の価値観が作りあげるものです。福祉事業に関わる人は、そのことをしっかり自覚する必要があると思います。

アメリカのジョージア州にあるサンディ・スプリングス市を紹介しましょう。この市は「貧困層のために税金を払いたくない」という富裕層が独立して作られました。サンディ・スプリング市では税金が安くなりサービスが向上したとして、成功事例として他の市のモデルになっています。しかしながら取り残された市民の生活は悲惨です。ゴミの収集も定期的にできない、図書館などの公共施設は早く閉まってしまう、学校教育もひどくなっていくのに税金は高くなりました。

私たちはどういった社会をよしとするのか。福祉事業にかかわっている人たちは「自分たちが社会を変えていくんだ」との気概をもって、資金と組織と環境のマネジメントを実践していってほしいと思います。

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