介護と経済32 合理的配慮とはなにか?~息が詰まる社会の回避~

合理的配慮とはなにか?~息が詰まる社会の回避~

「合理的配慮」という言葉は、障がいにかかわるお仕事をされていると、よく耳にされるのではないかと思います。

「合理的」という修飾語がついているので、単なる「配慮」ではないということは推測できるのですが、「合理的」という言葉から具体的かつ容易にどういうものかがイメージできるというわけでもない気がします。

そのため、福祉系ではない領域の企業に勤めている方の中には、「障がい者に求められたら、その要求に従わねばならない、それが配慮という言葉で求められていることで、そうしないと、差別になってしまう」といった解釈をしている方もいます。

言葉の意味を理解すると、「合理的」という用語を使う必然性が分かってくるのですが、用語を聞くだけでイメージできるわかりやすさはありません。

そこで、土屋のアテンダントのみなさんは、お仕事に深くかかわるのでよく理解されていると思いますが、あらためて整理しておきたいと思います。

なお、合理的配慮については、内閣府が発行した以下の冊子が分かりやすいです。
業務上必要な場合には、参照されることをお勧めします。

出典:内閣府「合理的配慮について」冊子

また、厚生労働省が発行している以下の好事例集は、雇用の分野における合理的配慮が扱われており、わかりやすいものになっています。

出典:厚生労働省「好事例集

【合理的配慮が求められる背景】

現在、私たちが働き、暮らしている社会は、マジョリティとみなされる人々に合わせて設計されてきました。

マジョリティとされる人々は、時代や社会によって解釈に幅がありますが、基本的に、いわゆる健常者とされる人々であったため、社会は、健常者を想定した設計になってきたと言ってよいと思います。

マジョリティに分類される健常の人間モデルに合わせれば、効率よく、制度や構築物の設計・構築ができるからです。

効率的な社会の設計・構築の点ですが、障がい者は、健常者の人間モデルから外れた存在とみなされるので障がい者という特別なカテゴリーでくくられます。

障がいは多様なので、それだけ多様な制度設計や対応が求められるため、コストがかかることになるのです。
生産性が低い社会では、対応が難しい局面も生じます。

その結果、道路や建物内に段差があるのは当たり前、歩道に店の看板がはみ出していても避ければよい、道路の信号は色の表示で進行可・不可が示される、対応し訓練するのに手がかかる者は雇用できないなどという状況も散見されました。

しかし、福祉や人権の観点から、社会的弱者が生活や就労がしやすい状態に改善すること、つまり一定の配慮が求められ、徐々に改善がされてきました。

【しのび寄る差別】

もちろん、十分な対応とは言えません。
しかし、対応を充実させるには、様々なコストがかかります。

社会のコストですし、企業のコストです。
そうすると、「社会にはマジョリティ(障がいのない多数派の人たち)にかかわる多くの課題がある。

社会のお金や人手といった資源は有限だから、そちらを優先的に解決すべきで、マジョリティでもない人たちのために、税金や経営資源の多くを割くのは控えざるを得ないのではないか」などという危うい考え方も生じてくる可能性があります。

言い換えれば、「優秀な健常者に便益を保証した方が、社会の生産性も上がり、豊かな社会になるから社会的弱者はおこぼれとしてその恩恵に浴することができる。

したがって、障がい者への対応より健常者への対応に資源を割くべきである」という考え方と表現できるかもしれません。

障がい者に配慮することは無駄なコストと考えているとも言えます。

【優生思想の陥穽】

この考え方は、優生思想です。
理想的な者、優秀な者を残し、そうでない者は切り捨てれば、社会は栄えるという発想です。

なんとなく一理ありそうに見えるので、様々な場面で首をもたげてきます。
しかし、優生思想は、社会の衰退を招きます。

会社内で優秀な者だけを集めたチームはさぞかし仕事ができるチームになるだろうと思えますが、実際は、生産性が高いわけでも、良い仕事をするわけでもないという話は有名です。

それぞれが優秀な自分に基づいて発言したり、仕事を進めようとしたりして、全体の調整ができなくなるのです。業務は一定のまとまりをもちます。

したがって、業務の目標に向かって最も効果が上がるように、それぞれの力の出し方や方向を調整したり、お互いの苦手をカバーしあったりせねばならないのに、調整ができない状態になってしまいます。

調整のための相互のコミュニケーションも希薄になり、調整のために自己を押さえたり、苦手なことをこなしたり、他者をカバーしたりせねばならない場面でもそれがなされないのです。

【衰退する社会】

社会に優生思想をあてはめた場合、どうなるでしょう。息が詰まる社会になります。
そんな社会は生きづらいですから、出て行ってしまう人もいれば、少子化も進みます。

なぜ、息が詰まるのでしょう。
「優秀」の枠に入るために、「優秀である」ことをアピールせねばなりませんから、競争社会になります。

そのため、足の引っ張り合いも生じます。
みなが疑心暗鬼に陥りますし、意思疎通のためのコミュニケーションも希薄になります。

また、「優秀さ」は誰がどのような基準で決めるのでしょう?
誰かにとって都合がよい者が理想的な存在であり、優秀であるということになります。

また、それは理にかなったものなのでしょうか?みなが納得できるものなのでしょうか?その基準が適切に運用されることが保証されているのでしょうか?

この点では、権力を持った者が優秀さの基準を決める可能性があります。
権力者の都合で基準が変更される可能性もあります。基準から外れた者は納得がいきません。

しかも、基準内にいる者も、いつ基準が変わるかわかりませんし、基準が変わらなくとも競争によって引きずりおろされたり、難癖をつけられて基準から外れたことにされたりする可能性もあります。

優秀の枠に入った者も安心できない社会になるのです。
「成果を上げねば給料減らすぞ、クビ切るぞ」という、脅しの成果主義が機能せず、かえって企業の業績を落とすのは、同様の理由です。

そもそも成果を上げても、なんだかんだと難癖をつけて高い評価点がつかないようにし、支払う給与が高くならないようにすることによって人件費を抑えるために考案されたのが脅しの成果主義です。

そんな制度、成果を上げても上げなくても納得がいくわけがありませんし、そんな制度を導入した経営層に対する不信感が高まりますし、同僚がみな競争相手になって会話もなくなります。

業績が落ちて当たり前です。

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