やりがい搾取の時代 2/2

【共同体としての日本的経営】
では、バブル崩壊を契機に否定された日本的経営とはどのようなしくみだったのでしょう?
一言でいえば、会社を社員にとっての運命共同体にするしくみです。
主に大企業にみられた制度で、従業員は新卒で採用され、まっさらな状態から社内で教育されることによって会社の業務や制度に習熟していくだけではなく、価値観や考え方まで共有するようになります。
そのため、日本企業の従業員は「金太郎アメ」と表現されるようにもなります。
ただ、中小企業も巻き込まれていきます。
大企業のグループに所属する企業や大企業と取引がある中小企業にとって、親会社もしくは大企業にぶら下がり、系列と呼ばれる共同体的な企業グループを形成することが自社の存続につながるという状況が作り出され、やはり共同体的なしくみが形成されます。
系列は企業間の関係になるので、ここでは、企業を共同体化するメカニズムを大企業の社員を例にとって解説してみましょう。
【働かせる仕組みとしての日本的経営】
従業員は、新卒で採用され、定年までいることが前提となっていました。言い換えれば、中途採用がありません。
そうすると、定年を待たずに会社を辞めても、同じ給与条件やステイタスの会社に横滑りで転職できません。会社を辞めてしまうと、通常は労働条件もステイタスも下がる中小企業に再就職することになります。
起業という選択はあまりありませんでした。そこで、生活のことを考えると、仕事が大変でもなかなか辞められません。
一方、女性はお茶くみや簡単な業務しか与えられない要員でした。というのは、何年か勤めれば結婚退職することが前提で採用されていたからです。
ということは、妻が主婦になることが当たり前と考えられていたということです。そうなると、夫婦は夫の給与で生活せねばなりません。
安定した生活を維持するためには、夫は会社を辞めにくいですし、会社の中での評価で夫の処遇が決まるので、一生懸命働かないといけません。
夫にとって妻もしくは家族が人質に取られているような状況と言ってもよいでしょう。
それゆえ会社が運命共同体になったわけです。働かせる側にとって便利なしくみであったと言えます。
そこで、男性従業員は、家族のため、シャカリキになって働きます。
土日も接待で家にいませんし、平日も日付が変わってから帰宅するといったこともあり、日本的経営の時代も過労死が問題になりますが、共同体である会社のために尽くした立派な社員と評されるような異常な傾向もみられました。
他方、夫は家族のために生活費を稼いでいるという自負があったとしても、仕事にかかりきりであまり家に帰ってこない、家の雑事はすべて妻がこなす、という状況の中で、家族内のコミュニケーションがとれない状態が続き、妻は夫の退職後に人生を一緒に歩む選択ができず、熟年離婚という状況も生じていきます。
【日本的経営の背景と限界】
このような日本的経営のしくみが可能であったのは、成功例や失敗例を米国が示してくれるので、それに学んで成功する方向に一丸となるキャッチアップ型(先を行く国を参考に効率よく成長するモデル)を選択できたからです。
しかし、成長を遂げた日本は、世界第2位になり、自分で切り開くことが必要になり、イノベーション(技術革新)が必須になりました。しかし、イノベーションは、多様性の中で生まれます。
日本の場合、金太郎アメ社員からなりますから、イノベーションには不向きです。
このような要因もあって、日本的経営からの脱却が模索されたのです。
【やりがい搾取へ】
日本的経営はもうダメと考えられている中で、脅しの成果主義も、精神疾患や過労死、過労自殺を呼ぶことで、問題があるとされるようになります。でも企業は従業員を働かせねばなりません。
そこで出てくるのが、やりがいを感じさせ過重労働を強いるという方策です。 本当にやりがいがあるかどうかではなく、やりがいがあると錯覚させることも含みます。
やりがいがあったり面白さ・楽しさを感じたりしていれば、人はその対象にのめりこみます。面白い本やゲームに熱中し、翌日に差し支えるのに夜更かしをしてしまうなどといったことをイメージすればわかりやすいと思います。
逆に嫌なこと、気が進まないことは、ストレスがかかります。それゆえ、精神疾患や過労自殺にも至るのです。
しかし、やりがいがある、面白いからと言って、過重な負担がかかる状態を延々に続けられるわけではありません。
体を壊しますし、精神を病む可能性もあります。それゆえ、やりがい搾取という用語を使って問題点を告発した主張が社会に受け入れられていくわけです。
また、やりがい搾取の下では過重な負担が強いられますが、その過重な負担に耐え切れなくなり、やる気が失われたり、精神を病んだりして復帰できない、仕事を続けられない、といった現象が生ずるとすると、バーンアウト(燃え尽き症候群)が想起されます。
もちろん、バーンアウトが指摘されたのは、1970年代の米国であり、やりがい搾取という構図で問題になったわけではありません。
ですが、上記のように考えると密接な関係にある面もあります。特に介護士の業務からすると無視できない問題です。
そこで、 次回はバーンアウトについて解説しましょう。