介護と経済29 社会的包摂とノーマライゼーション

社会的包摂とノーマライゼーション

【社会的包摂とは?】

社会的包摂は、ソーシャル・インクルージョン(social inclusion)の日本語訳です。社会的「包含」としている訳もあります。

いずれも間違いではありません。かつては、社会的包含もよく使われていました。本シリーズでは、社会的包摂と表記します。

社会的包摂とは、すべての人が排除されて孤立したり、孤独な状態で放置されたりすることなく、社会の一員となり、互いに支え合う状態を指しています。

介護サービスに携わる人々は、社会的包摂の重要な業務を担っていると言ってよいのではないでしょうか。

このような一定の学術用語や社会的に重要とされる用語が生まれる背景には、社会課題があります。

その問題を告発したり、その問題を解決するための方策や目指すべき状態を提起したりするために用語は生まれます。

社会的包摂という言葉も同様でした。

【社会的排除と社会的包摂】

社会的包摂という言葉が生まれた背景には、社会的排除という問題の指摘がありました。

天野敏昭は、次のように整理しています。《天野敏昭「フランスにおける社会的排除と文化政策――社会的包摂における芸術・文化の意義」『大原社会問題研究所雑誌』638、2011年12月、p.47》

「60年代,貧困問題に取り組むNGO『ATD第4世界(カールモンド)』が『排除』という言葉を使ったのを端緒に,70年代には,当時の社会問題担当閣外大臣であったルネ・ルノワールが,その著書(Lenoir, R.[1974]『排除された人々:フランス人の10人に1人』)の標題に『排除』の言葉を使用した。」

天野が整理しているように、社会的包摂という言葉が生まれた背景には、その対語として、フランスのルネ・ルノワールが著書の中で障がい者などが「社会から排除されている」と指摘したことがあります。

排除を問題とし、それを解消するために目指すべき状態を示す言葉として生まれたわけです。

その後、フランスでは,1988年に、社会的包摂を目的として、一定の水準以下の収入しかない人に対して金銭給付を行う最低所得保障の制度ができます。

さらに、1998年には、社会的排除と戦うための基本法(反排除法)ができます。

反排除法の背景には、EUが1997年にアムステルダム条約で、社会的排除と闘い、排除を防止するための国内計画を立案することを加盟国に義務化したことがあると言ってよいでしょう。

一方、日本では、厚生省(現 厚生労働省)が2000年12月8日に発行した「社会的な援護を要する人々に対する社会福祉のあり方に関する検討会」報告書の「5.新たな福祉課題への対応の理念 - 今日的な『つながり』の再構築」において、「全ての人々を孤独や孤立、排除や摩擦から援護し、健康で文化的な生活の実現につなげるよう、社会の構成員として包み支え合う(ソーシャル・インクルージョン)ための社会福祉を模索する必要がある」

引用:https://www.mhlw.go.jp/www1/shingi/s0012/s1208-2_16.html
《2025年1月18日参照》と記しています。

【社会的包摂とノーマライゼーション】

社会的包摂と同様、社会福祉の領域で使用される用語としてノーマライゼーション(normalization)があります。

それぞれの用語が使われる議論を聞いていると同じようなことを意味しているようにも見えますが、用語が違うわけですから、違いもあるはずです。

韓昌完、小原愛子、矢野夏樹は、ノーマライゼーションについて次のように整理しています。

《韓昌完、小原愛子、矢野夏樹「学問・研究の成果と社会の変化を反映したノーマライゼーション概念の再定義」『琉球大学教育学部紀要』第85集、琉球大学教育学部、2015年、p.162》

「ノーマライゼーションは、1950年代デンマークの知的障害者施設の劣悪な環境を改善しようとした精神遅滞者の親の会から『障害があっても普通の子ども同様の暮らしをして当然ではないか』という声があがり、1953年デンマークのバンク・ミケルセンによって提唱されたのが始まりとされている。」

なお、バンク・ミケルセン(N.E. Bank-Mikkelsen)の提唱を受けて、デンマークでは、1959年の「精神遅滞者サービス法において『精神遅滞者の生活を可能な限り普通の状態に近づけるようにする』と文章化され」ました。《同論文》

ここで、精神遅滞者とは、知的障がい者を意味しています。

したがって、ノーマライゼーションとは、障がいがあろうと、買物をしたり行楽に出かけたり、学んだり、仕事の場で活躍したりするのが当たり前、つまり、それがノーマルな状態と考え、それを実現しようとすることを意味すると言ってよいでしょう。

そのような状態がノーマルということは、社会的排除がある状態では、実現されることは難しいでしょう。

つまり、社会的包摂によってノーマルな状態が実現されることになるため、両者は密接に結びついているだけではなく、ノーマルな状態にする方法を考えると、社会的包摂を抜きにしては考えられない一方で、社会的包摂によって実現される社会の状態を考えると、ノーマライゼーションが構想する社会の状態になるという関係がイメージできます。

【ノーマライゼーションの8原理】

障がいがあっても「普通の状態」で日々を過ごすことができるためには、その指標や目安となるものが必要です。

そこで、スウェーデンのベンクト・ニィリエ(Bengt Nirje)は、「ノーマライゼーションの8原理」なるものを提唱します。

・一日のノーマルなリズム
・一週間のノーマルなリズム
・一年間のノーマルなリズム
・ライフサイクルにおけるノーマルな発達経験
・ノーマルな個人の尊厳と自己決定権
・ノーマルな性的関係
・ノーマルな経済水準とそれを得る権利
・ノーマルな環境形態と水準

上記の状態を確保してゆくことがノーマライゼーションにとっては重要である、それが原則となるということです。

なお、ノーマライゼーションにかかわっては、1983年に「役割の社会的価値向上(social role valorization)」という概念が提唱されています。

▼以下のサイトが分かりやすいと思います。
https://www.tfu.ac.jp/tushin/with/200803/01/03.html (2025年1月18日参照)】

▼本格的に学びたい方は、以下のサイトの文献が良いと思います。
https://muse.jhu.edu/book/6541/pdf#page=411

障がい者などの社会的弱者は、社会的意味の低い役割が与えられています。

それらの人々に対して重要な社会的役割を与え、それをこなせるよう能力を高めることを意味しています。

社会的に重要な役割を果たすのであれば、社会への包摂も促され、ノーマライゼーションの状況も達成しやすくなると解してよいでしょう。

一方、社会の領域は広いです。政治の場もあれば経済の場もあります。市民生活の場もあります。

それぞれの場には、それぞれ特徴のある制度や考え方、機能メカニズムがありますので、それぞれに合った形で社会的包摂やノーマライゼーションが進められなければなりません。

そこで、次回は、経済の領域における社会的包摂を考えてみましょう。

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