雇用ビジネスとは何か
株式会社土屋顧問/土屋総研特別研究員
影山 摩子弥
前回は、会社から離れた場所で仕事をするサテライト型雇用を扱い、最後の方で「雇用ビジネス」に触れました。今回は、雇用ビジネスについて解説します。
雇用ビジネスについては、2020年ころには、すでに問題視する声が聞かれていましたが、以下のような報道で注目を集めることになりました。
「法律で義務付けられた障がい者雇用を巡り、企業に貸農園などの働く場を提供し、就労を希望する障がい者も紹介して雇用を事実上代行するビジネスが急増していることが9日、厚生労働省の調査や共同通信の取材で分かった。十数事業者が各地の計85カ所で事業を展開。利用企業は全国で約800社、働く障がい者は約5千人に上る。」(2023年1月9日 共同通信)
【雇用ビジネスの定義】
雇用ビジネスとは、企業が雇用した障がい者をサテライトオフィスや農園で預かり、障がい者にオフィスワークや農作業を行わせるビジネスのことを言います。障がい者を雇用した企業は、ブースや農地を貸し出す業者にお金を払ってそれらを借りるわけです。
サテライトオフィスの場合、障がい者を雇用した企業の業務を行うのですが、農作業の場合、農家が障がい者を雇用するのではなく、全く異なる業種の企業が雇用し、農業をさせています。
厚生労働省 第130回労働政策審議会障害者雇用分科会(2023.12.27開催)の資料によると、2023年11月末現在で、このようなビジネスを運営している業者は全国に32法人、その業者が運営している障がい者の就労場所が152カ所、そのような業者を利用している企業数は1212以上いるとされています。
雇用ビジネスと言われる形態は、サテライトオフィスのケースと農園のケースがあり、サテライトオフィスは38カ所、農園が110カ所と農園型が圧倒的に多い状態です。就労場所は152ですので、サテライトオフィスと農園を足すと、4カ所の差がありますが、内容を把握できず分類できないものがあったのではないかと思われます。
【なぜ広まったか】
雇用ビジネスは急速な拡大を示しました。その理由はいくつか考えられます。
サテライトオフィスの場合、前回【サテライト型の意味】で触れたように、通勤が難しい、駅から会社までが遠いなどといった場合、自宅最寄り駅や会社最寄り駅のサテライトオフィスを利用すると便利です。それだけではなく、サテライトオフィスには障がい者対応ができる支援員などのスタッフがいるので安心ですし、雇用した企業にとって、社内の整備をしたり、担当社員をずっと張り付けたりしなくとも済むので、負担が少ないといった面もあります。障がい者対応に慣れていない企業にとっては、メリットが大きく見えたであろうと思われます。
さらに農園型の場合、雇用した障がい者を預けっぱなしにすることになるので、社内の就労環境の整備や担当者の配置などをしなくともよいことに加え、農作業という一連の作業が用意されているので、障がい者向けかつリモートワーク向けを考えて自社の業務を切り出さなくとも済むというメリットがあります。業務の切り出しが限界であるという業者には、魅力的に映ったことでしょう。
【雇用ビジネスの何が問題か】
健常者の社員と接触がないので、健常者側の障がい理解が進まない、障がい者がもたらすシナジー効果を引き出せないといった問題もありますが、雇用ビジネス特有の問題もありました。
しかし、日興みらんのように日興証券に努める健常者社員の障がい理解を促す研修のために、農園を利用していたケースもあります。顧客に障害を持つ人が来た場合に、対応が適切にできるようにとの方針に基づいた研修です。
また、雇用ビジネスを利用する企業によっては、全くサテライトオフィスに出向くこともなく、障がい者用の仕事を雇用ビジネス業者の社員に送り、自社が雇用した障がい者に渡してもらうなど、無責任な姿勢が見られました。そのため、就労環境に問題があっても企業側は把握していないといったことが起こり得ました。雇用した企業は何もしなくてもよいといった営業をかけている雇用ビジネス業者すらおり、問題を助長していました。
しかも、農園型の場合、障がい者が作った農作物を本社の健常者社員に無償で配布することが一般的でした。そうなると、障がい者の農作業は市場的価値を生まない仕事ということになります。これでは、障がい者雇用促進法第3条「障害者である労働者は、経済社会を構成する労働者の一員として、職業生活においてその能力を発揮する機会を与えられるものとする。」に抵触します。
我々の社会は市場経済ですから、「経済社会を構成する」とは、市場経済の中に組み込まれるということを意味します。市場経済に組み込まれるとは、簡単に言えば、きちんと値段が付くものを作っているということです。障がい者は役に立たない仕事をしていればよい、やりがいを得なくてよいと言っているようなものです。問題とされたのも致し方ないと言えるでしょう。