介護と経済15 なぜ無償性はだめなのか? 

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なぜ無償性はだめなのか?

株式会社土屋顧問/土屋総研特別研究員
影山 摩子弥

【市場(しじょう)とは?】

農園型の雇用ビジネスの課題と改善点について論じた回で、障がい者が育て、収穫した野菜が無償で障がい者を雇用している企業の健常者社員に配布されていることが問題であると述べました。その理由は、市場性(しじょうせい)がないからです。

市場(しじょう)とは、生産された財(物質的財貨)/サービス(非物質的財貨)、お金がやり取りされる「抽象的な場」のことで、必ず「しじょう」と読みます。実際には、販売する店舗があり、販売員がいたりしますが、あらゆる売買の場を集約して表現する用語として使います。モノやお金が交換されたり移動したりしているイメージからなるといってよいと思います。

通常、市場では、介護サービスが販売され、それを当事者や家族が購入します。市場性があるとは、市場で売買される、お金と交換されるということです。したがって、市場性がないとは、市場でやり取りされないということです。なぜやり取りされないかというと、買手がお金を出すだけの魅力を感じていない、つまり、お金を出すだけの価値がないと判断しているからです。

【労働の価値】

そうすると、さかのぼって、そのような財やサービスを作った労働は、社会の評価を得られない労働、したがって、価値を生まない労働ということになります。ただ、この表現は正確ではありません。労働は必ず価値を生みます。労働が生み出したものは、価値を持ちます。そのような価値をお金と交換される価値という意味で交換価値と呼びます。

しかし、その労働が生み出したものに他の人々がニーズを感じなければ、売買されないので、その生産物が持っている価値を市場で実現できないことになります。財(物質的財貨)でもサービス(非物質的財貨)でも、人々がニーズを感じるということは、何らかの有用性を持つことになります。これを使用価値と言います。経済学では、交換価値と使用価値を分けるので、「売れない商品を作る労働」は交換価値を生まないという解釈はしないわけです。市場でやり取りされない家事労働も同様です。

日本的経営は、男性労働力に依存するシステムだったので、夫は会社などで働き、妻は家庭に入って主婦になるという構図を形成しました。そうなると、金を稼いできている夫は社会的に意味のある労働を行い、家事労働を行っている主婦は社会的に意味のない仕事をしているのだから、夫の方が価値のある存在、などという解釈すらまかり通ることになります。

横道にそれましたが、市場でやり取りされない財を生む労働は、イメージとしては、人々にとって価値を生まない労働という印象を生み、「社会的に無意味な労働」と解釈されてしまいます。

【無償性と担い手の葛藤】

もし、介護サービスを生む労働が無償であった場合、人の命をつなぐ大事な仕事であるにもかかわらず、市場でやり取りされないサービスを生み出しているから、価値を生まない労働であり、社会的に意味のない仕事とされかねません。家事労働の担い手は、家族や近親者の介護を担ってきましたが、家庭内で行われる労働であるため、価値のある労働とはみなされませんでした。その延長線上に、介護サービス労働に対する評価が存在するような気がします。

このような評価を受けた介護サービスの担い手はどう思うでしょう。ストレスを感じるのではないかと思います。それでも、家族や近親者を放置できないですし、介護サービスを業務として行う従事者は、低賃金でも人の命をつなぐ仕事としてやりがいを感じるのではないかとは思います。しかし、無償もしくは負担に見合わないと従事者が思うほどの低賃金で業務を担う場合、その「対価」は人の命を救うという倫理的に崇高な使命を果たすことによるやりがい程度になり、やりがいに依存して業務を担い続けることによって「燃え尽きる」ことにもなります。

【無償性の功罪】

儒教の影響が大きいからか、無償は尊い行為であると日本人は考えがちです。無償で行った自身の慈善行為を自慢したり、自分の利益のために行ったりするケースは、日本人だけではなく他国の国民からも非難されるでしょう。そのような行為は、倫理的価値規範に抵触するからです。

倫理は、理性の機能が生み出す基準であり、それに基づいた判断です。理性的なものは、普遍的、一般的なので、理性を軸に稼働する、つまり、理性主義をベースとする地域や国のルールや判断は、似通ってくることが多いです。欧米や日本がそのような地域です。例えば、10進法で1+1はどの地域でも国でも答えが2となるように、普遍的なものです。

しかし、崇高だとしても無償は、大きなリスクを伴います。担い手の負担だけで業務を担うことになるため、力を注ぎきれなかったり、継続が難しかったりするのです。なぜなら、担い手も生活せねばならないからです。生活に必要な食材を買ったり、家賃を払ったりせねばならず、そのための収入が必要で、無償ではない仕事を担わざるを得ないので、無償の作業に注力できなかったり、継続できなかったりするのです。

特に日本のNPO(非営利組織)が財務規模が小さく、小規模であったり、若手の担い手が集まらず高齢者ばかりで運営されていたりするのは、ボランティア組織は無償性で稼働せねばならない組織と考えられている傾向が強いからです。生活のための収入を得なければならない現役世代にはかなりハードルが高いことになります。

しかも、金銭的対価は、自分が生み出した財やサービスへの評価という面を持つので、翻って、自分の業務に対する評価を意味し、それを通して自分自身に対する評価という面を持ちます。したがって、対価がなければ、自分に対する評価も低いという印象になり、気持ちが高まることはないでしょう。モチベーションも高まらないことになるでしょう。

このように、無償性は、社会にとっても業務の担い手にとってもマイナスになる面があるのです。

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