遷延性意識障害者の親となる

遷延性意識障害者の親となる

元宮城県知事・土屋総研 特別研究員
浅野史郎

私の娘(45歳)が今年の1月30日未明、遷延性意識障害になった。院内医療事故で心臓が10分以上停止し、脳がほぼ完全にやられた。気管の手術後で入院中に病院から我が家に電話があり、医師から「挿管するのでよろしいか」と言ってきた。妻(74歳)は、受話器を持ったまま「植物人間になってしまう」と泣き崩れた。

ここから、娘の遷延性意識障害としての人生が始まる。目が見えない、耳は聞こえない。意識は全くない。(気管切開をして人工呼吸器をつけているので)声は出せない、身体を動かせない。動くところも少しはある。見えないが目玉は動く。あくびをする。脳幹は残っているので、消化器は機能している。排尿、排便はある。不安定だが自力呼吸はできている。身体には人工呼吸器に加えて、水分補給の点滴、胃ろう、その他のチューブにつながれている。

こういった状態になった娘を見るにつけ、「ただ生かされているだけでかわいそう。いっそ楽にしてやりたい」という気持ちになった。娘は6年前、「助からないとなったら、延命治療はやらずに尊厳死を望む」と自筆で書いた文書を保管していた。私たち夫婦はその文書を医師に見せて、「無駄な手術はしないでください。胃ろうもつけないでください」と言ったが、医師に説得されて手術も胃ろうも行われた。

私たちの心境には変化が現れてきた。じたばたしても娘の意識は戻らない。それはそのまま認めることにしよう。尊厳死など考えてはならない。往復2時間かけてほぼ毎日娘との面会に行っているが、その30分間(制限)の面会ではずっと名前を呼ぶなど声をかけ続けている。手足をさするなど刺激を与えている。反応は全くないが、わかってはいるのだろうと思いつつ。

この病院にはいつまでもいられない。3ヶ月をめどに退院しなければならない。退院してどこにいくのか。親としては、ここまで15年も住んでいたグループホームに戻したいと思っている。そこで24時間介助の重度訪問介護を受ける。担当医師もそれでいいだろうと言っている。

人工呼吸器の管理、喀痰・吸引、胃ろうなどの医療的ケアは誰がやるのか、グループホームのほうで受け入れてくれるか、市は認めてくれるかなどなど解決すべき課題は残っている。それでも皆様のご理解、ご協力をいただいて実現できそうである。

ある人の紹介で、全国遷延性意識障害者・家族の会の代表と理事のお二人と電話で話せるようになった。どちらもご家族が遷延性意識障害者である。ご自分の経験談を話してくださる。意識が少しは戻るということを教えてもらった。代表からは「尊厳死なんて考えてはいけませんよ」と言われた。こんなふうに気にかけてくれる人がいることは、私たち親にとっても力となる。ありがたいことだ。

これだけ重い心身障害者の親になった。この先の人生は残りわずかとなる76歳でこんな試練に立ち向かうとは、人生まだまだいろいろあるなと思う。悔いのないように、向かっていこう。

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